花松の歴史

HISTORY


「花屋の松ちゃん」こと、初代 横山松五郎(のちにこの愛称が屋号)は、中区相生町 4 丁目に横浜で最初の日本花屋を開店。当時は生け花の先生方、学校の華道部、料亭や銀行など、横浜市内だけで なく鎌倉に至まで、自転車に乗り配達していました。

その後2代目 横山市太郎、画家としても活躍していた3代目 横山清治が明治・大正・昭和とあとを継ぎました。戦争により相生町の店は強制撤去されましたが、戦後曙町に移転し、現在に至ります。 

4代目店主 横山俊一は花屋としての業務のかたわら、日本伝統の生け花と西洋のフラワーアレンジメントを融合させた独自のスタイルをもって、アレンジ教室を主宰しました。

横山慶子が5代目となった現在は、花材のご提供やアレンジ教室に加え、花松企画の展覧会やブライダル、植栽など多岐に渡る分野で業務を広めています。